さてもこの時期花粉症がひどくなってきましたねー。
どうやらそろそろヒノキでしょうか。車のボディにも黄砂か何かと一緒くたになって、何となく黄色い砂埃のようなものが積もっています。
雨上がりの晴れというのは急激に花粉が飛散するので堪えますわ。
ともあれ、月曜と水曜と、愛知池を回っています。火曜は近所のウォーキングでした。外に出回ると当然花粉症がひどくなります。
私の場合、内服だけでなく、点眼、点鼻を併用するのが一番良いと考えています。
さて、このところちょっと個人的に流行っているのは、古本を読むことです。古本自体はいまではアマゾン通販で簡単に購入できるので、それ以前から買って読んではいましたが、本屋にいって、新しいいま売っている本を買うことが、どうも、欲しい本が見当たらなくなってきているのです。
いま手元にある本は、映画評論家の荻昌弘さん(故人)の「男のだいどこ」という本と、TBSアナウンサーだった榎本勝起さん(故人)の「魅力人生爽快学」です。
荻さんのは1975年の文庫本で、榎さんのは1986年の新書です。
本というのは、映画などもそうかもしれませんが、すでに鬼籍に入っている人の本であっても、読んでいるうちは、あたかもその著者がまだ今も生きているような錯覚を覚えるものですね。文体がさすがに古すぎる場合にはさすがに時代を感じてしまいますが、、たとえば中村天風さんの本の場合、講演集だと口述筆記なので活き活きとした印象ですが、ご自身で記された著書だと、さすがに文体が明治生まれの人の感じがあります。
ともあれ、いまの時代、とくにコロナによって文化芸術が途絶えたようなこの数年はとくにですが、流行歌もなければ良書もでてこない印象があるのは私がたんに目にしていないだけだからでしょうかね。
昔の人で、本を書くような人というのは、やはり賢い人、という印象があります。いまではゴーストライターがあちこちで暗躍しているようですが、そのプロのライターの文章が必ずしも良いとは言い切れないのはあると思います。読みやすい文章ではあるのですが、結局著者そのものの個性がなければ、魅力は半減するのはあるでしょう。ただ一方で彼らの存在意義は確かにあって、要するに著者の考え方や行動が分かれば良いのだ、という割り切りであればそれで良いのかもしれません。読みやすい文章は楽に頭に入ってきますからね。
こうして昔の人を、ただ懐古趣味で追っかけているのではなく、いまの知識人よりもはるかに良識かつ博識であるということは言えるなあと、古本をほんのすこしでも旅してみるだけでも、垣間見ることができるかと思います。
いまは、昔ながらの古本屋は限られた場所にしかないでしょうし、ネットでもこうして購入できるのでいいのですが、実は普通の書店なんかでも古書格安コーナーなどを設けているところもあったりして、そういうところでは、ネットではできない探し方ができるのは楽しいと思います。そして安いですからねえ。
映画のDVDでも、すでにもう絶版になってしまったものが、いまのところではネットで買えるので、そこはありがたいと思いますね。ただ、今後電子媒体というのか、データでの販売、というのが主流になると、ちょっと疎遠になってしまうかもしれない自分もいたりします。。
レコードでもCDでも、いまや過去のものになってしまっていますが、こういうものに付随していたジャケット写真やイラストデザイン、そしてそのアルバムの解説文なども、一つの付録としては味わいぶかいものがありましたからね。