今週はもう満月が近くなってきましたが先週の土曜は半月で上弦の月でした。愛知池を日曜と昨日とランニングして、夜見ると、時間帯によって同じ右側が照っている月でも上寄りの光り方だったり、下寄りの光り方だったり、時間帯と太陽との位置関係によって、多少変化するのだということがなんとなく分かりました。
つまり、同じ日でも、たとえば昨日昼間3時ごろに見たときの月はだいたい空一番高いところに位置し、その時はまだ太陽が午後3時なりの位置にいたので、やや上側寄りに光る半月(実際にはもう上弦の月の日は過ぎているので丸みを帯びているが)となっていました。で、同じ昨日、夜にもう一度愛知池を走ったときには結構普通に真横右からの光を浴びて照っている状態だったわけです。つまり、時間帯と太陽の位置関係により変化する、というわけですね。これももしかして錯覚によるもので、じっさいには見え方は同じ、なんてこともあるのかもしれませんが、一応はそういうことです。
さて、雑談ついでに、昨日は天皇誕生日ということで祝日休みだったのですが、土日の疲れなどがまだあったのか、朝イチに仕事の雑用を済ませたあとはぐったりしてしまって、すぐにどこかへ出かけようという気にならなかったんですね、というのも風がすごかったでしょう。あれは体感温度を下げますねえ。それで午前中は読書をすることにして、ちょうど古本を注文したのが届いていたので、
「無冠の男 松方弘樹伝」
を読んだのですが、あの名優の松方弘樹さんは2017年1月にお亡くなりになっているということで、もう4年も経つんですね、。私特別ファンでもなかったのですが、たまたま何かのおりにこの本が出ていることを最近知って、なんとなしに題名が気になっていたところ、とうとう購入しようと決めたのですが、現時点でもう新刊は販売されておらず、古本でしか入手できなかった。
読んでみると、無冠どころか、さんざんいろいろな賞をもらっているし、出演作品はめちゃくちゃ多いわけです。にも関わらず、偉ぶらず、しぶとく俳優人生を生きつづけたといった感想を持ちました。
そこで印象深かったシーンは、お父さんの近衛十四郎という剣劇俳優が亡くなられたときに、それまで出入りしていた人たちが「歯が抜けるように」いなくなったときの、マネージャーさんとのやりとりです。
「・・・・近衛さんといればメリットがあるけど、兄ちゃん(松方)といてもうまみがないと思って、離れていった。役者は利用価値がなくなると近くに誰も居なくなる。そんなときに兄貴(松方)が心配そうに、「川野さん(松方さんのマネージャーさん)、俺と一緒に貧乏してくれるか?」って言ってきたんだ。「何を水臭いことを言っていやがる」と答えたね。「貧乏するもしねえも、俺はずっと兄貴と一緒にいるから心配すんなよ。その代わり、俺はもういっぺん兄貴の看板を掲げてやるから。離れていった奴らをかならず見返してやるから」って言ったんです」
という、マネージャーさんの述懐があるんですが、このころ松方さんは34歳ごろ。マネージャーさんは松方さんより年輩なんですね。
そして、もう一つ、印象に残ったシーン。2001年、松方さんが59歳のころか。個人事務所ではやっていけない時代だと、公私ともにいろいろあって、無一文になってしまったのちに悟り、マネージャー川野さんに
「川野さん、もう一匹狼の個人事務所がやってける時代じゃないよ」「どうすんだい?」と尋ねる川野に、「これからは大手プロダクションの時代だよ。そこへ行こうと思うんだ」と松方は打ち明ける。「兄貴の思うようにしな」と川野は笑って答え、事務所の扉に貼りつけてあった、川野が自筆で書いた名刺サイズの「松プロ」の表札を剥がした、、、30年近く労苦を共にした松方と川野のそれが別れの日だった、、、。
とあるやりとりです。
以後松方さんは10年ほど、いろいろな役で俳優を頑張られた、というわけですが、私がこの2つのシーンを紹介したのは、マネージャーさんの男気ってやつですね、それが江戸っ子の粋ってのを感じるわけです。もともと京都の時代劇で長年やってきたころからの間柄だと(本の内容から)推察するわけですが、こういう男気はなかなかいまどきはいないんじゃないかな、、と。
ともあれ、あれほどの名優ですら、3年4年経つともう忘れ去られてしまうのが切ないものだなあと、思うんですね。。いわんや凡人をや。だからね、自己満足しかないんですよ。個人個人の人生なんてのはね。私はそう思いますね。
ただ、ウツウツとした気分をどうするのかと。コロナで遠方の友人にも会えないし、外食や旅行もできない、となるとね。実際、昨日の私なんか、北風ビュービューだし、バイクでうろつく気にならず、この本を読み終わったら無性に虚しくなってしまって(ちなみにこの本は待合室にしばらく置いておきます)、どうしようかと思って、いろいろ考えた挙句、家内を連れて車で、みよし市内にある医王寺へ。行ってみたらここもまあワビサビの世界というのか、お休みの日だということもあり、ひと気もなく、駐車場も閉鎖されていて、それでも一瞬境内をうかがうと、浄土宗西山派とある。医王寺とはなんぞや、の回答となるものはそこには一切なく、縁起などの記載もなく。
その後ネットで調べたところによると、このお寺の起源は平安時代にさかのぼるという。そこである無名の高僧がここへ薬師如来を本尊とする寺を建てたと。そこから医王寺となった、ということのようです。一般に医王寺という寺は全国にたくさんあり、だいたいが薬師如来を本尊とし、病気治療に霊験があるといことになっているようですな。こないだ四国にいったおりにドデカい薬王寺という寺もあったのですがそこもおそらく同じような位置づけなのでしょう。
その高僧に村人が「どこから来なさった」と訊くに「三吉からです」と鳳来町あたりの地名を答えていたが、そのやりとりからこの地が「みよし」と命名されたとか。ホンマかいな?そこまでの凄い寺だったのか!
で、なぜにいま本尊が阿弥陀如来で浄土宗になっているのか、というと、歴史の途中でお坊さんが変わったりして宗旨替えがなされたのでしょう。浄土宗の本尊は阿弥陀仏なわけだから。以前の本尊はちゃんとしまってあるらしい。
考えたら、昔は疫病やらなにやら健康不安があったわけで、衆生救済のためにお寺が医薬の手助けをする役割を有しているのも推察するにうなづけるというものです。
さて、その後昼食をとったのち、さすがに運動しなくては、となり、愛知池を早歩きで一周。それでも結構寒くてグッタリして帰宅。夜は息子とランニングの約束をしているので、また夜にはランニングをしたという。夕食後にもぐったりしてしまって、やめようかなと思ったが、汗をかくことが大事なんやと、また約束は守るということで意を決して、1周52分で走り汗だくになりました。風が相変わらずビュービューでしたが、夜はもう防寒対策を十分にして出たのでOKでした。同じ1周するでも、汗をかくのとかかないのとではずいぶん違うものだと実感しました。汗はかいた方が良い、ってことです。
ヒマと運動不足は心身ともによろしくないです。無理やりでも良いので何かしら行動をする。出かける。運動をする。こういうことが、いいんです。面倒くさいからとテレビやごろ寝と無駄食いしているとどんどん悪循環に陥りますね。
しんどい時こそ外をうろつくというのか、3密にならなければ良いわけで、誰かと野外ランチするとか、体が重くてだるいときこそ、逆に運動をするんや、という気持ちが必要でしょう、と私は思います。誰かとしゃべることも大変重要です。とくに女性なんかは余計にそうじゃないかな。
昨日は結局愛知池2周したし、夜爆睡ですわ。愛知池は今日あたりから3月5日まで一部通行止めになるらしく、周回ランは出来なくなりますが、そこ以外は大丈夫です。