コロナで疲弊している世の中です。
ある人は職を失い、ある人は収入減となり、ある人は逆に忙しくなりすぎて疲れ果てて健康を害している。
現役世代で特段変化のない幸運な人というのはあまりいないのではないかと思います。
学生さんなどの自殺が増えているのは何故なのか、今一つ分からなかったのですが、というか、いまも学生じゃないから分からないといえば分からないし、いわゆる社会人というか、大人世代であっても、経済的な問題がさほどないにも関わらず自殺をする場合もある、ということを考えるに、
私この土日に倉敷の恩師宅に訪問宿泊してきたのですが、そこでいろいろなことを、合計7時間ほど、話し話して、それで実感したこととして、
表題のように、コロナ鬱の本質は、仲間や親しい人といろいろと愚痴を言い合ったり、とりとめもない会話をしたりする、そういうコミュニケーションの不足にあるんじゃないかと思ったんですね。
心身は週末でヘトヘトで、頭痛肩こり、視力は低下という状態での4時間半の遠路はなかなかきつかった。でも到着して歓待を受け、いろいろとワイワイ話をしているうちに、ずいぶんと気分がすっきりとしたんです。
先方の恩師夫妻は教育者ですから、かつての生徒である私の話をしっかり聞いて下さるので、私にとってのヒーリング効果があったと思うんですが、おそらく先生夫妻もまた、私のようなたまに来る客との会話を楽しんだだろうと思うんです。
ステイホームとか、テレワークとか、どんどん野外にでることが減って、鬱々としたテレビばかり見ていると、そりゃ誰でも頭おかしくなりますよね。
また、学生さんなんかは、コロナの休校時期、大人からしたら、楽でいいなあなんて思っていたのですが、いやいやどうして、若者も若者で、やはりたとえ友達がそれほどいないような子であっても、やはりなんとなしに集団の中にいて、多少は話をする相手もあって、一緒に何かをする、共感したり笑ったり、コミュニケーションをとることが、ウツの予防や治療になっていたんじゃないかなと。
一流芸能人でまだ若い人が自殺したことも、ステイホームの時間が増えることで、しかも有名人はあまり表立ってうろうろできない制約もあるでしょうから、ただ単に収入や仕事があって、場合によっては悩みを話せる家族や友人がちゃんといたとしてもなお、相対的にいままでよりコミュニケーション量が減って、潜在的な鬱が露呈してしまったのではないかと、そう思うんです。
つまり、コロナ鬱の本質は、決して単に経済的な問題だけではない、ということがあるんじゃないかってことです。
精神科医で作家の樺沢先生が「コロナうつを改善する方法」という動画を配信していますが、
そこで言われていることで、感染拡大を容認するような発言については、地域医療医としては同意できかねますが、コロナうつを改善する方法、という内容としてはおおむね同意できます。あえてリンクは貼りませんが、もし興味がある人は検索してみてください。
それで、本人も気づいていない精神疾患を背景にもつ患者さんで、身体症状を訴える人を当院でみることがしばしばあり、さりとていきなり向精神薬を投与するまでもない、という症例に対しては、この、親しい友人などと、ズームとかオンラインとかのバーチャルでなしに、実際に人と会って、いろいろと話をしたりどこかに出掛けたりすることが大変大事なんじゃないかと思うんです。
当院に来てた人で、私のちょっと厳しい指導でへこたれて?なのかどうか分かりませんけど、来院しなくなった患者さんは、もしこのブログを見たならば、一度参考にしてほしいと思います。また来てくれていいです。
そう言う一方で、私自身の反省としては、患者さんとじっくりコミュニケーションをとる時間が、限られた外来時間ではなかなかとれないことです。それで不満に思ってしまわれるケース、来なくなってしまうこともあろうかと思いますが、私は来なくなってしまった患者さんのことも、かなりあとあとまでずっと考えて心配しています。診察中、私のいろいろ言い方がときにきつかったりしたらごめんなさいですが、あなた方のことを考えていることには変わりありません。どこかで元気でやられているのならそれで良いです。ともあれ私は私の時間の範囲の中で、他の患者さんとのバランスなどを考慮しながらやれる範囲でやるしかないですので、それである程度は割り切るしかない、と、まあ、言い訳ですが、そこは理解してくださるとありがたいです。本当に精神科や心療内科でのカウンセリングが必要ならば紹介しますし。
ただ、精神科医の先生方も、現代は心を病んだ患者さんが大変多いようなので、精神科医の先生自体が、疲弊しているだろうなとは思います。とくに外来診療をされている先生は。
私も当然しょっちゅう経験がありますが、はらわたが煮えくり返ったり、悩みが深いときなどは、親しい人に何度も何度も同じことを話してしまうことがあります。それは理解できます。私も同類です。ただ、外来診療をしていて、その繰り言にずっと付き合うわけにはいかない時間的制限がありますので、ある程度のところで打ち切らざるを得ません。それでもなんどか通院だけは定期的にされていれば、そのうち自然に癒しが得られるはずです。そこが一番肝心なところです。
いまインターネットや動画などでいろいろなことが大変参考になり、これらのことを、仕事や趣味や生活のことすべてに勉強のために全部見ようなどというのは、世界中のすべての場所を旅してまわろうと思うようなことと同じで、絶対に無理なんです。それに、ネットでいくら仮想訓練や学習をしても、実際に歩いて外出して、行動をする、現場に行く、ということをしないことには解決しないんです。
それが、ズーム飲み会と実際に会って飲み会をするとの違いに例えることができる、実際の生き物としての事実です。本質です。
無言で自然の中をあるいて得られる癒しもあろうけど、人としゃべって話して初めて得られる癒しもあるんです。それが社会的動物である人間の特徴です。運動をすることも大変重要です。つまり、動物は動いてナンボなんです。朝起きて、夜寝る、というやつです。
日本は睡眠薬常用国ですから、そこから脱却しないといけないのですが、ちょっと途中覚醒するとか、早朝に目が覚めてしまうから睡眠剤をくれ、という相談がときどきあって、医者によっては安易に眠剤処方することもあるかもしれませんが、私自身がもうずいぶん前になりますが、眠剤に頼ったことがあり、そこから離脱するのに2週間全くまともに眠れなかった経験から、そんな、ちょっと途中覚醒があったとか、明け方早く目が覚める程度のことで睡眠剤を欲しがるのはすでに依存性質です。まとまって4時間も眠れりゃそれはほぼ正常です。たとえば、前立腺肥大や過活動膀胱の老人で、1、2時間おきに夜起きてトイレにいく、という毎日を送っている人でも、だから眠剤を欲しいということはほとんどありません。そしてそういう症状ならばそれ用の薬である程度解決できます。前立腺肥大の症状がひどければ手術療法でしょう。年取れば睡眠が浅くなるのは自然の理です。運動不足なら眠りが浅いのは当然です。途中2回程度の途中覚醒や、23時から眠って4時に眼が覚めてしまって、という程度の話は、生活習慣での対応のみで良いですし、それを病的だから眠剤をくれ、という姿勢が危険だ、ということです。私は悩みがあって眠れないとかいうときでも、せいぜい漢方薬程度しか飲みません。前日あまり眠れなければ、翌日有酸素運動などしたらよく眠れるだろう、と考えるんです。大抵大丈夫です。