日蓮聖人の言葉に
道の遠きにこころざしのあらわるるにや
というのがあるのを今朝知って、感慨にしばし浸りました。
人生は終わってみればあっという間に思うかも知れません。が、途中途中は長い長い苦労の続きです。そこをどうやって大股で楽しく楽に歩んでいくかが、知恵の工夫どころなのでしょう。
とにかく現時点では毎日が苦難で、ゴールに向かう、その道が遠いほど、すなわち、目標が高く大きいほど、それを達成するのに時間も労力もかかり、そこに志(こころざし)の強さが必要、という意味で、こころざしのあらわるるにや、と述べられたのだと私はとらえました。
道のはっきりともしないブッシュだらけの細い山道を、ぼやぼやしてると日も暮れて周囲の雑木は自分をがんじがらめにするかのように伸びて遮ってきます。道も分からなくなってしまいそうです。実際にそれらが意図的に遮るのではないでしょうが、結果的には自分が主体的に強く生き進んでいかないと、そういう状況になってしまいかねないということです。その魔の手を、切っては捨て、切っては捨てを繰り返しつつ、自らの道を作って進んでいく。