二度寝したときに、過去の人生や人間関係を舞台にした悪夢を見ることがありませんか?
私の場合、何かを探してて見つからないとか、誰かに追われるとか、そういう悪夢が、過去に住んでいた場所を舞台にして展開されることがしばしばです。
いまうまくいっていることがなぜかご破算になっていて、などという内容もあります。
そこで考えました。
その舞台になっている場所、過去に過ごしていた場所を久しぶりに訪ねてみよう、ということを。つまり悪夢の回収作業です。
それで何が解決するのか分かりませんが、とにかく行ってみて、ああここだったなと、ここに住んでいて奮闘していたな、とか楽しかったこともあったな、とか回顧することである種の脳内解決が得られるのではないかと期待しています。これは一種の行動認知療法と言えるでしょう。ただし、実際にそこでトラウマがあったわけでもないので、遊びではあります。
ちょっと関係ないことですが、現代は大人でもADHDや発達障害をかかえている人が少なくないということが徐々に認知されてきましたが、私はそれはあくまでも程度問題であって、何かすぐに病気扱いすることが必ずしも良いことかどうか、疑問に思うことがあります。もちろん全例を否定するつもりはありませんが、誰しも物忘れや対人関係の不器用さといった、生きにくさを呈する症状はもっているものです。大なり小なり。
大まかに言って、日本の普通自動車免許を、技能も学科もきちんと受けて合格し、免許取得できる能力のある人はすべからく正常範囲である、と言って良いように思うのです。
うまく社会人として生きられないという人は確かにあるけれど、それらを全部病気として扱って、障害者扱いにするのは、ちょっと違うと思います。人生はそこそこ大変なものです。すべて社会保障の助けに頼りきってしまうのは、最終的にはツケをためていることに他ならないのではないかと。
もちろん一時的に休務することはあるでしょう、必要に応じて。しかし、それはあくまでも区切りがあってしかるべきです。休んでいる間に、復活のためにできることを手配することは生きるためにやることです。それをすらせずに、延々と、というのでは、人間は一度落ちるとなかなか這い上がるのは大変な、慣性に生きる生き物であるだけに、将来が厳しくなります。辛いけど毎日ちょっとずつ行動する、社会人として関わる、ということが大事なのではないかと思います。