2日間で一気に読んでしまった本がありまして、
「国民のしつけ方」という、過激なタイトルの本です。
斉藤貴男さんというジャーナリストの書かれた本です。
たまたま私、あのゴルゴ13の作者のさいとうたかをさんの来し方の本「さいとうたかを本」というのを購入したときに、アマゾンで同じような名前の斉藤さんがいかにも過激な本を出していることを画面で見て、試しに買ってみたのですが、これは本当におそろしい。
何が恐ろしいか、というと、要するにこの作者の言いたいことは、政権や政府が、メディアやマスコミをコントロールすることで、ある種意識的に国民をしつけてしまう恐ろしさがある、ということなのですが、、、。
私が恐ろしいと思ったことは、それもそうなのかもしれないということと別に、マスコミやメディアは、いまネットという媒体もあり、個人ですらいろいろな情報操作をすることができてしまう時代ということも相まって、当事者に恣意的な意図が必ずしもなかったとしても、勝手に危険な方向性や間違った道へ突き進んでしまう仕組みが、世の中全体(これは日本だけのことでは決してない)に出来上がってしまっている、という恐ろしさです。
何年か前に亡くなられた加藤紘一さんという国会議員が書かれた「テロルの真犯人」という本を読んだときも何とも言えない空恐ろしさを感じたものですが、その時には加藤さん自身も何が原因でこうなっているのか今一つ分かってない状況だったと推察する内容でしたが、今回の本を読んで、加藤さんの感じていた恐怖はおそらくこれだろうと思ったのです。そしてその恐ろしい帰結というのは、決してテロルなどという局所的なものではない、ということが、私の思う恐ろしさなのです。
はっきりいえば、テレビ、新聞、ラジオ、ネット、雑誌、本、など、メディアと言われる媒体すべてが、信用できるかどうか分からない時代である、ということです。
目先の利益のためには、倫理もルールもなにもかもあったものじゃない、という現実を前にして、我々がどう生きていかなければならないか、ということが、本当に難しい時代だなあと、つくづく思いました。
この本の作者である斉藤さんというジャーナリストは、「ではどうしたらよいか」ということについては答えを出せずに終わっています。そりゃそうでしょう。個人でどうにかできる問題ではないです。また、少々内容的に思い込みの激しい面もありますので、さすがにちょっと、、という内容もありますが、現代のマスコミを含めた情報管理、取捨選択、真偽の判断、ウソでも本当のようになってしまう、という多々問題が非常に恐ろしいことになっている、ということだけは良く分かりました。
医療に関してだって、決して無関係ではありません。むしろどっぷりど真ん中に位置しているとすら思えてきます。なかなか悩ましい問題です。
ちなみに、その本の中で、オックスフォード英語辞典2016年11月発表の「今年の単語」に「post-truth」という言葉が選ばれたことが紹介されていました。
そこでは「世論形成において、客観的事実が感情に訴えるもの以上の影響力を持たない状況」という意味と説明されており、2016年において、アメリカ大統領選のトランプの虚言の数々や英国のEU離脱でのミスリーディングを背景に多用されるようになった単語だということです。その言葉自体は1992年ごろからあったものだそうですが、それからずっとあとの今になって流行語のように使われるようになった、というものです。
post、というのは後、という意味ですね。truthは真実ですから、上記の説明をもっと分かりやすく端的に言えば、「真実は二の次」、ということで言い換えれると思います。
斉藤さんは最後にニューズウイーク2016年12月の記事から抜粋として
「インターネットは確かに私たちを強権的な情報の門番から解放した。おかげで今はどこからでも情報が入る。ただし、そのどれが信用できるかは分からない。この状況で、正しい情報が勝つという保証はどこにもない。」
という分を紹介しています。そこから彼曰く、「偽りの情報には正しい情報で対抗すればいい。正しい情報は必ず勝つ。私たちはそう信じてきた。しかし悲しいかな、この信念は、ネット荒らしや悪質なウイルスが蔓延するソーシャルメディアの世界では通用しない」というのです。
ここがこの著書の総括であり、また個人ではどうしようもない無力さを感じる重要なポイントであると私は思いました。