人相手の仕事をしていると、まあなんだか勝手な誤解をされて、理不尽な扱いを受けることがときにあります。
ほとんどの事象は建設的であり良好なんだけれど、千分の一くらいの確率で汚点のような事象に出くわすと、そのことが他の999を帳消しにしてしまうほどの悪いインパクトを与えてくれます。
いざとなったらいつでも相手になるんだけれど、やはりいろいろ守るべきものもあるし、なるべく紛争は避けたいというのは誰しも社会人だったら思うところではないでしょうか。
それで私は思うんだけど、結局は芯の部分で闘いの炎を灯しているということと、相手がどうあろうと己のポリシーを守り抜く姿勢が結局は生きるのに最低限必要なんじゃないかな、と。
自分がしっかり真っ当な振る舞いをしているのであればなんら遠慮することはない。堂々と主張すればいいし、そしてそれは相手が納得するかどうかはむしろ関係なくて、自己表現、自己主張をとにかくはっきりと声明する、ということです。
いま世界は戦争や不景気や疫病で不穏や不安な空気が蔓延しています。まともに生きていても全然予想外のところから攻撃を受けることも稀ではない時代になっています。右の頬を打たれたら左の頬を差し出せなどというキリスト教を国教とする国ほど実は好戦的な歴史を繰り返し続けていることを見ても、結局は闘わざるを得ない現実というものがある。
といっても、何も喧嘩を推奨しているわけではないんです。少なくとも、言われっぱなしややられっぱなしで我慢して自分を壊す羽目になるなどということはやめましょうということです。相手がどんなバカであろうともそれなりに自己主張はしましょう。そこで相手が反応しようがしまいが関係ないです。それが自我の存続のために必要なことです。そして二次被害を受けないためにも。バカを勘違いさせてつけあがらせてはならない。
理不尽な相手や空気に屈しないこと。自分の人生を生命を守るためには芯の部分で闘いの炎を絶やしてはならない。