どれだけ由緒や歴史深き神社や寺でも、実際訪れてみると、アレ?思ったほどでもないなあ、と思うことがあって、それは何故なんだろうと考えてたら共通点があることが判明して、
結論は、表題の通りだったんです。
とはいえ、たとえば猿投山の神社でいうと、東の宮や西の宮の建物のある場所あたりがスゴイパワー感あるかというとそうでもないんです。一番樹木に囲まれているんですが。猿投神社はやはり山のふもとの主殿というのか、あの建物のある敷地が一番パワー感がある気がします。それはやはりそこで神職の方々が絶えず管理しているとか、人々が訪れる人数が多いとか、風水とか、そういう要素もあるのかもしれません。
東京とかに新幹線で行くとき、窓から外をみると、都心部なのに一部だけやたら森林の塊の地域がたまにあって、それの場所が寺や神社だったりするんですよね、それがまた目立つんだけど、急いでその場所が何か調べようとしても新幹線だからすぐ通り過ぎてしまうから結局いつも分からないで終わります。
そもそもパワースポットって何だろうか、いまだに明確な定義や科学的根拠は示されていませんよね。
有名人とかだとその人そのものがパワースポットのようなオーラをもっていることがあるとかいう話がありますが、それはどうなんだろうか。人の発するパワーっていうのは、対人的に触発されて発生するような気がします。誰も居ないのに一人でオーラ出してる、というのはあるんだろうか?無いんじゃないかな?よく分かりませんが、、。お互いがプラスのパワーを出しあって、それがはじけて広がったときに、つまり相乗効果でオーラとかパワー感とかいうものは感じるものなのではないだろうか。
どんな有名人や偉い人でも、私の個人的な感覚でいうと、いままで過去にそういうオーラだとかパワーだとかを独自に発生させているような人物に会ったことがありません。誰しも所詮チョボチョボボチボチなんじゃないかなあ、というのがリアルなところだと思います。声のデカい人はパワー感ありますけどね、オーラとかいうのとは違う気がします。
ともあれ、自然のパワーを周囲にまとった神社仏閣に静かに身を置いてしばらく時を過ごすと、何かしら感じるものがあると思います。
5月って、忘れてたけれど5月病という言葉があるように、ちょっとリズムが疲れてウツウツとする時期でもあるんですよね。最近はコロナウツの方が主になってしまっているので5月だからどうということもなくなってしまっていますが、実際にはこういう社会的な落ち込みというのはまた2年ほど経過したら治まると予想しています。大きな流れでいうと、少子高齢化で人口ピラミッドでいうと逆三角形になっていますので、どうしても景気高揚ということはないんだろうけれど、いってみれば折り返し復路と思えば、いかに執着しないか、いかにシンプルに生きるか、ということが幸福の決め手になるように思います。
幸不幸というのはあくまでも主観的なことであって、事実そのものとは別物である、と教えている本もあります。たしかにそういうものかもしれません。そういう意味では昭和から平成前半までの物質至上主義時代から、心の時代へと移行している、いえ、実際移行せざるを得ない時代になっている、と思います。
それが、いま盛んに世界中で言われている分かりにくい概念である「SDGs」とかいうものの考え方の一つなのかもしれません。しかし、こういう概念とかテーマって、いったい誰が勝手に決めて全世界の目標だとか言い始めたんだろうか、、、。