院長BLOG

2021.06.05更新

人生の目的は幸せに生きること。最後死ぬときにまあまあ幸せだったと思えるような生き方をすることだと思う。

そのためには毎日まいにちを一所懸命に生きることが必要。

一所懸命に生きることはすなわち、数々のやってくる問題や課題に対して闘い続ける日々を送ること。

闘う気持ちはどこから来るのかというと、それは生命力があればこそ。

生命力は勝手に作られるのはせいぜい若いうちだけだから、中年以後は自分で生命力の火に燃料や薪とでもいうべきものを投下しつづけなければならない。

その燃料がまた闘う気持ちでもある。

 

コロナワクチンの副作用が思いのほかダラダラ続いていたのが、昨日あたり、つまり6日目にしてようやく晴れた感じがしました。

3日前の夜はとうとうランニングを休んでしまいましたが、その翌日には2周して借金を帳消しにして、昨日はまた通常の1周をしました。もう夜遅いとあまりすれ違う人もなく、淡々と走るだけです。

 

闘う気持ちと生命力とはお互いに燃料と炎の関係にあり、どちらも交互に役目を交代するような関係でもあります。健康維持もある意味闘いであって、そしてそれがまた生命力を培う結果を得ます。

例えば現状が停滞しているような場合でも、それは次の大きなジャンプをするためにしゃがんで力をためているんだと思えばグッと辛抱してしぶとく地力をつけることにもなるし、

もし私のブログを見て、精神的に地縛状態にとどまっているような人が、「地縛霊に例えるのか。コノヤロウ!」と怒りを覚えることでもあれば、その怒りパワーを、生命の原動力に活用してもらえれば良い、と密かに期待しています。

通常のうつ病ならばきちんと通院治療すればたいてい治ります。治るというか、寛解状態になります。薬や通院から解放されることも普通にあります。

いわゆる新型うつの場合、好きな事や楽しいことには生命力が余裕で発揮される一方で、義務や仕事や勉強といった嫌な事には途端に動けなくなるようですが、それは闘う気持ちがうまく嫌な事への対処への力に昇華できないからだと思います。通院や治療も同じことで、ちょっと自分の思いが通らないようなことになるともう自己中断してしまう。または、ちょっと良くなると自己判断でもう通院しなくなってしまう。それは見方によっては、アクセルとブレーキがその場面場面(社会人として適正な姿勢を要する場面)で上手にきかせられない状態だという可能性もあると思います。

それに対してどう治療するか、という問題については、通院しなくなる患者に対しては精神科医もどうしようもないんじゃないかと思います。

通院をちゃんとする、ということはそういう適応障害の人にとってはある意味闘いなんだと思うんですが、その闘う気持ちはいつまでも逃げていてはまず湧いてこないし、逆に闘う炎が強ければ、社会の荒波に立ち向かうパワーが涌現するため、自然に治療は必要ないほどになる、とも言えます。

一度しかない人生、かりに次に生まれ変わっても前世の記憶は通常は残っていないですから、実質、一度しかない人生といえます。となると、やはり魂の成長として人間は死ぬまでにどの程度レベルアップしたのかが重要となるわけです。

一時的に休止状態となったとしても、必ずまた復活して、闘いの日々の流れに乗るしかないのが人生というものだと思います。

 

 

投稿者: 三本木クリニック

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