土日を利用して千葉の旧友たちに会ってきました。
学会ついででもなんでもない、それだけのためです。といってもツーリングも兼ねているわけですが、、。
グーグルマップによれば、宿までは、片道368km。行きは途中どうしても海老名、港北あたりで渋滞に巻き込まれるんですけれど。
数少ない友人のうち学生時代の友というのは、普段と違う角度で教わることがいろいろあるので大変価値があると思います。単純に何にも余計なことを考えずに話ができる楽しさもあります。むしろこちらのほうがメインか。お互い明らかに老けてしまっているのですが、気持ち的には学生のころに戻った感じになりますね。
私の中に最近、「遊びで筋トレ」、という概念があって、別に文字通り筋トレをするわけではないですが、例えば毎日仕事ばかりであくせくしていると、徐々に仕事の体力も落ちてきます。単にリフレッシュ、という意味だけでなく、いろいろな遊びやレクをするということは、普段使わない体力を、遊びでなら頑張って使おうか、ということで、結果的に仕事の体力にも役立つ、生命力の筋トレになっているのではないか、というものです。
なんだ、観念論か、と捉えられてしまうかも知れませんが、遊びのために仕事をする、とか、遊んでリフレッシュしたらまた仕事がんばれる、とかいう考え方だと、じゃあ1週間のうちのほとんどの時間を費やしている仕事は苦しいことだけなのか?という疑問が沸いてしまいます。そうではなくて、仕事を楽しくやれるために、体力の筋トレをしよう、というので、しかもそれは、スポーツジムに行くとか(そういうのが楽しくやれる人はそれで構いませんが私はそうではないので)そういうストイックなものではなく、例えばスポーツに例えれば、同じ練習をするにも、練習試合のように競技性がある練習であれば、知らず知らず夢中になって、実はすごい筋トレになっていたとか、心肺機能が鍛えられていたという結果になってたりしますよね。黙々と無言で一人でトレーニングするよりは楽しくしかも効果的に鍛えることができる。そういうようなものです。
だから、仕事をつらいものとか苦痛だけだとか、生きる食うために仕方なくやるだけだ、とか、そういうものにしないために、そのためには、自分が十分な体力があれば余裕になります。そのためにはストイックなつまらないトレーニングをしなくても、例えば自分だったら、登山に行くとか、ロングツーリングに行くとか、友人と長時間飲み食いするのも体力要りますよね、そういうことで体力のトレーニングをする、ということです。
同じようなことを私の家内の例でいうと、私同様に久しぶりに旧友と遠方まででかけて一緒に遊ぶことで、あちこち歩き回り、知らないうちに運動になっていて、翌朝気づいたら全身筋肉痛になっていた、というのと同じことです。
遊びで筋トレ。それで月曜がなかなか疲れてたりするんですが、そういうのが知らず知らずの鍛えになってるのだと思います。日本においてはそういうやり方が現実的なのかなと思います。