院長BLOG

2019.03.31更新

看護師の資格制度には、医師の立場からみるとどうにも解せないものがあります。

准看護師と正看護師、そして看護学校と看護学部、さらには大学院への進学の有無

これだけたくさんの階級分けをしてしまっています。

精度を作るのは役人や現場から退役された人たちでしょう、だからこそ現場が分かっていない。

医師はどうかというと、いくら専門医や学位を苦労して取得しても、大学院を卒業しても、給料には何にもプラス反映されません。

大学院で学位をとるのに、凄く優秀な人でも3年かかります。私は通常の年数の4年かかりました。4年間、これ、看護大学の4年間と同じ年数ですね。でも何にも給料には関与しません。

何が言いたいかというと、ナイチンゲール精神に、資格の上下(うえした)で扱いに上下があるのか、という原理原則からの疑問です。

ただでさえ准看護師と正看護師とで階級があるのに、さらに3年の専門学校と3年の大学と、また階級を分けて、現場は公平感や平等感があって和気藹々協力的に仕事ができるのか?

同じ仕事をするのに、資格だけで並べると、下から順に、准看護師、看護学校卒の正看護師、大学看護学部卒の正看護師、そして大学院卒の正看護師、と単純に4つもの段差があります。

大学院はともかくとしてもその下に3段階のヒエラルヒーがあって、それらは給料が違うことにしなければならないのでしょうかね。四大卒の場合、初年度のフレッシュマンでも看護学校卒の子の2年目と同じ給料になるんでしょうか?

私個人的にはそういうルールについて、大病院ではどうなっているのか、知りません。知りませんけれど、もしそうなれば何も実務を知らないのにすでにエリート値段をつけられるのでしょうか。また、逆に、就職1年目はどこの学校(専門学校か大学)をでようが同じ給料なのでしょうか。それはそれで四大卒の人は不満に思うかもしれません。

日本におけるこの状況をナイチンゲールが生きていたらどうみるでしょうか。

こういう、身分の違いのような資格分けをどんどん押し進めることは、上述したように協調的な仕事をするのに支障を来たす可能性があるのと、ひいては患者さんの身分によって仕事の調節をしてしまうことを(有意識か無意識に)してしまいかねない危険なことではないかと思います。

看護師は看護師で、形式的な資格に関わらず、価値の高い仕事です。それはしかし、身分や給料の差をつけることでその価値を周囲にみせしめる類のものではない、というのが私のナイチンゲール精神の理解です。

昔、ある看護師から発せられた言葉で、このヒエラルヒーに基づいた差別的意見を私が聞いたとき、唖然とさせられた記憶がありますが、この先もその不快感はずっと忘れることはないでしょう。その時点で私はそういう人は看護師の仕事をするべきではないとすら思います。お金のためと割り切る生活なのでしょうから、それは自由ではありますが、私にはない考えですし、価値観が正反対です。

私は医師ですが、では医師の場合でいうと、出身大学によって給料が変わりますか?変わりません。どの大学をでようと優れた人、そうでない人いずれも関係ありません。スタートラインからどのようなスタンスで生き、仕事をするか、ということの積み重ねで違ってくる。そうですよね。

生物は絶えず学習しつづけ前に進むという存在です。動物は植物よりその性質が顕著で、人間はその最先端の立場にあります。意識するしないにかかわらず、日々成長学習するのです。

かつて仲良しだった友人が、年月とともに疎遠になるのは成長に差があり互いの距離が広がるからです。彼我との人間性の距離が離れすぎてしまえばそれはもう、言語が通じないといっても良いレベルのところにまで達してしまいます。付き合える訳がありません。

たとえば70歳くらいの年代の人たちが、若々しく元気だったりずいぶんヨボヨボになっていたり、個人差が大きいことは日常よく見られることですが、人間性についても同じことが言えると思います。70年も生きてきて、中学生レベルかと思うような人も世の中決して少なくないですね。それは恥ずかしいことと思わなければならない。しかもそういう年齢になってしまうと、もう変えられないし、変わらないし、見かけ上の年だけはとっているので誰も指導してくれません。

偉そうなこと言って、自分はどうなんだ、ということですが、私も当然未熟です。未熟ですからこそ、何かしら勉強したり日々向上しなければならないと思っているのです。それはお互いに感化し合わなければならない。それが仲間であり、友であり、家族であろうというものです。

 

投稿者: 三本木クリニック

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