院長BLOG

2019.01.01更新

昨日は他の施設で当直業務をして本日、2019年1月1日です。

大晦日に当直をしているとさまざまな思いが頭を巡ります(ことにまた2018年から2019年にかけての年末年始は、やたらに「平成最後」という言葉がでてきて、何かやたらと終わりだとか最後だとか言うことで視聴者の焦りをあおるような感じがして嫌気がさしていますが)。

テレビも基本的には見ないのですが今年はついついベートーベンの第九にまつわる番組をダラダラ見てしまいました。NHKですら、あおり演出が過剰な印象で食傷気味になりましたけれども、、

ともあれ、ベートーベンは、モーツァルトやバッハ、ハイドンのような貴族出身ではない平民出身の音楽家だからこそ、フランス革命時代を通じて、その先にあるべき世界平和や公平な社会を訴えるべく、最後の集大成である第九を作曲したそうです。だからこそ革新的な作曲方式を生み出したとか。

たしかに、ベートーベンの曲が他と異なるのは、予定調和でない生命の叫びのような印象をもつからなのですね。

 

最近読んだ本に、少し前に亡くなられた日野原重明先生の著書「だから医学は面白い」があります。日野原先生の生涯で印象的だった出来事などをエッセイのようにつづった内容でしたが、日野原先生に強い影響を与えた偉人がオスラー先生だったそうです。オスラー先生はアメリカ医学の祖とでもいうべき人ということですが、彼の名言に

「今日の仕事を精一杯やり、明日のことを思い煩うな」

というのがあります。この格言には一番大事なこととして、まず今日やるべきことを精一杯やる、ということが前提にある、ということを認識しなければなりません。精一杯やったうえで、それで明日のことは思い病まずに寝ろ、というわけですね。

明日のことをあれこれ悩む人は大抵、今日の仕事を精一杯やってない、という共通点があります。目の前に問題があり、それを解決するための努力をしていないとか、その解決のためのスケジュールがカラなのであれば、その問題の解決のために少しでも有益と思われるスケジュールを立てて対策を一所懸命する、ということをすべきだと思います。

逆に、例えば病気で体を休ませなければならないということであれば、一所懸命に体を休ませる、というのも、養生に努めている、ということになり、意義があります。

テレビはインターネットでは絶えず誰かと比較させられることを無意識にさせられてしまう要素ばかりを映しています。絶えずセカセカとして気持ちが落ち着きません。自分と同じような年齢の人やもっと若い子とかが、自分よりはるかに恵まれた生活をしていると、世の中これだけ便利になったのに、何故自分は一所懸命働いて(勉強して)もこんなに差があって報われないのだろうか、と、無意識にイライラさせられてしまう状況にあるのではないでしょうか。実際にそれが本当に一所懸命必死にやっているのかどうか、というまず前提を疑わねばなりません。テレビやネットを見てる暇があれば自分のなすべきことをせよ、ということですね。自分のすべきことを必死になってしていないのに他人のことを見聞きしてばかりいるからおかしくなるのではないか。また、情報はなさすぎてもありすぎても自分の立ち位置が分からなくなってしまうという危険があります。現代はネット社会であり、テレビでもそうですが、自分の人生や生活にとってどうでもいいような必要のない裏情報ばかりがもてはやされ、結局は無用に焦らしたりイライラさせられてしまう結果になっている気がしてなりません。自分が逆立ちしても買えない高額な商品見せられて意味ありますか?自分がこの先どう頑張っても無理だろう収入を、自分と無関係の有名人がどれだけ短期間に稼いだとかいう情報聞いて、楽しいでしょうか?殺人とか喧嘩とかのシーンばかりのドラマを毎日テレビでやっていて、それを見る価値ってどんだけありますか?

私は当直を久しぶりにすると、長時間一人で過ごすことになり、たとえばそれが何日も居室にこもったまま過ごしてしまうような当直だったりすると、自分が結婚してるのか、独身なのか、子供がいるのかいないのか、また、医師としてクリニックの仕事がまたふつうにやれるのか、などということがぼんやりしてしまって分からなくなる錯覚に陥ります。テレビもくだらない番組ばかりすぎてほとんど見るに堪えません。でもそれが、もとの普段の生活の見直しのためになっているかもしれないと思ったりします。

一人冥想といえば、昨年末12月29日には昨年最後の猿投山登山をひさしぶりにしました。午後からの登山だったので帰るころにはかなり暗くなってしまったほどですが、そこでもほとんどだれもいない山行で冥想的自問自答をしながら数時間過ごしました。山頂では完全に雪が積もり、風はビュウビュウでしたので3分も過ごさずに下りましたが、雪道で3度も尻もちをついてしまって(その後早速アイゼンを買いに行きました)、もう、腹が立つやら情けないやら、気をつけていてもやはりやってしまうのです。

山登りですらこんなことです。ましてや自分の生活において、地に足をしっかりついて歩むということが、そしてそれを毎日毎日きっちりやるということがどれだけ大変なことか、ということです。そしてそれは、他人をうらやんだり自分と他人を比較したりしても何の良い効果もないのではないかと思います。よそ見をすると自分の足元がすくわれてずっこけてしまう、ということに他ならないです。

先のことをあれこれ思い悩むとき、たいてい自分自身は足を止めてしまっている状態で、頭とか顔だけ前につんのめっているような印象があります。まずプラクティカルに体を動かす、行動をする、ということが結局は現実の物質社会の地球においては絶対なのです。

思いと行動が一致して初めて、世の中で自分の行為となるのです。ネットでテレビで画像を見てるだけではただ他人の生活を観察しているだけにすぎません。それは、動物園でトラなど珍しい動物がおりに入っているのを見ているだけのようなものであって、それは自分の生活とは無関係というやつです。

現代人がかかえる鬱憤、とくにそれがいまや若い人に限らずですが、誰か特殊な能力や才能や富や地位を持っている人に憧れたり嫉妬したり、そういうことが過剰になりすぎるような演出が多すぎることが原因になっているのではないかと、つくづく思います。

誰かの人生ではなく自分の人生ですからね、自分がどうありたいのかを考えて、それならばどう行動するべきなのか、ということを自問自答する時間が、テレビやネットを見るのに浪費するよりももっと必要なのではないかと、テレビを普段みていない私ですら、思う、この年末年始です。

もちろん、誰かに強要されてその相手のために自分の命や生活を犠牲にする人生というのも、私は嫌です。他人と比べて自分の人生を見捨てるのもバカですし、他人に自分を支配される人生もバカです。

投稿者: 三本木クリニック

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