サイコオンコロジーというのは腫瘍精神科という意味ですが、精神科の医師で、癌の患者さんに対してどう精神的ケアをするか、という分野です。
昨夜、豊田厚生病院で、フォーラムがあり参加しました。
患者さんに「早く死なせてくれ」と言われたときに、、というテーマで、大変重い内容です。
安生厚生病院の緩和医療センター長の足立先生による講演でした。
最近では疼痛緩和技術が向上し、また、向精神薬もいろいろありますし、中核病院ではソーシャルワーカーもいますから、いわゆる、体の痛み、心の痛み、そして経済的環境などの不安を除去することがかなり可能になってきたようです。
しかしそれでもなお、スピリチュアルペインという、直訳すると霊的痛みというものがある、という内容です。
言ってみれば、自分という存在がなくなってしまうことに対する不安と失望、です。これは意識朦朧とか認知症とかになってしまえばむしろ楽になることですが、多くの末期がん患者さんはそうではないので、死を迎えるまでの苦しい期間は、想像するに余りある心境でしょう。
スピリチュアルペインを3つに分けると、死により将来を失う苦痛、そして身内や友人などとの関係を失う苦痛、そして自分が何の生産性もないと感じる苦痛、ということです。
頑張り屋ほどこの苦痛がツライ、ということもあるようですが、、
ではこういう苦痛にどうするか。もちろん普通に鬱状態になりうるわけですから、精神薬物的アプローチは考慮するとして、それでもなお、となると、、もともと宗教をもっているような人はまだましというデータがあるそうですが、大方の日本人は、いえ、現代人は世界中の人たちの多くは実質的無信教ではないでしょうか。
今回の講演で最もインパクトがあった解決法の例は、「夜と霧」の作者で精神科医のVEフランクルのロゴセラピーというものでした。
ロゴとは意味、つまり生きる意味、この苦境の意味、生きててよかった意味、など、意味のことだそうです。
「何故私がこんな目に遭うのか」「俺が一体なにをしたというのか」などと、人生を怨む気持ちがでるような苦境下で、どう生きるのか。
それが人生から問われているとして、自らが、自分の体験や置かれている状況から意味を見出す作業をする、という治療です。
受験に合格した、とか、仕事に成功した、とか、初めての子供が生まれた、とか、そういう喜びいっぱいのときに、「生きてて良かったですか」と訊くと、「当然ジャン」と答えるでしょう。生きててよかった体験を想起したり創出することが、ロゴセラピーになる、ということの一つだということです。
また、結果がでない、例えば行く先は確実に死があるのに結果など期待できるわけないじゃないか、という場合には、態度価値というものがあり、例えば、現状を受け入れて苦境に立ち向かって闘うという価値がそれに相当するでしょう。でもそんなことできないわ、というのが大半の人間でしょうけれど。
この分野では、今回講演を聴いていて非常に誤解されやすいと危惧したことは、こういう理論や観念手法にとらわれ過ぎて、形式主義になったり、また、本来すべき治療をせずに形而上のことばかりで対応しようとするような、両極端に走らないでほしい、ということです。
年数や経験を積んだ医療人ですらなかなか難しい、精神科医ですらそうそう簡単ではない領域だと思うので、安易で形式的な取り入れはミスリーディングに陥る可能性がある、ということを思いました。
結局、死という、悲しいこと、虚しいことは、いずれ皆が経験することです。結局は途中のプロセスがどうあれど受容するしかないのです。アウシュビッツで30人あたりのうちたった一人しか生還できなかったということでも、残り29人がダメで一人生還者が偉いというわけでもない、ということです。
受容できないまま死ぬことも普通にある。むしろそれが自然じゃないかと。でもそれは大変な怖く苦しい悲しいことなのだということです。人間として生まれたどうしようもない運命です。
現代では医療はテクニック主義、マニュアル主義に陥りやすいので、結局はしくみが複雑すぎて忙し過ぎるということを何とかしないと、、。
トイレにも動けなくなった患者さんが、排泄のたびに(忙しそうにしてる)看護師をナースコールで呼べと言われても、困ってしまう絵というのは、容易に想像がつき、また切ない悲しいことです。それこそスピリチュアルペインです。簡単ではないです。