院長BLOG

2018.11.08更新

最初に診断や治療を望んで受診しておきながら、医療不信なのか私自身への不信なのか(おそらくそういうレベルのことではなく、単純にその人の生き方の癖またはあえてのポリシーなのだと思いますが)、まだいくらも診断治療が進んでいないうちに来院しなくなるという人がいます。

恋愛に例えるのもヘンかもしれませんが、そういうものに例えるならば、最初に告白しておいて、次の日から知らんふりといったようなものです。

こちらは大変に戸惑います。いろいろ心配してしまいます。

でももうそういう人は私のせいではないので仕方がないと思うほかありません。論理的にはそうなります。

 

ただ、こういう人たちはおそらく、例えば子供でも大人でも精神疾患(それも本当の器質的異常でない)の場合、そもそも病院に行くのはポーズとして行ってみるだけで、実際には治りたくないなにか理由があるとしか思えない、こころの抵抗感というものを感じることがあります。

何に対して怒っているのかは人それぞれでしょうが、それを含めて諸症状を改善する可能性があるにも関わらず、処方した薬を飲むことすらしない形で拒絶されると、こちらとしてはどうしようもないです。

精神カウンセリングのみで何とか、という手もあるかと思いますが、副作用も心配のないレベルの内服をすら拒否する患者が、カウンセリングは受容するということが、簡単に成立するとは考えにくいと思います。

ただ、そういう場合にでも、やはりその道の専門家というのはあるでしょうから、当院で私が手におえないと判断した場合には当然しかるべきところへ紹介する道があります。しかし、、それをも結局は拒むことも、そういう人はありがちです。

子供の場合は親の対応により成否を決めるといってもいいでしょう。それは当然です。子供は社会的な仕組みについては何も分からないですから。

それで、親がネグレクトしてしまうと、通常の医療機関としてはどうしようもないです。

大人の新型うつ病にせよ、子供の登校拒否にしろ、本人にとって、治ることや、正解を目の前に突き付けられることが都合が悪いことがあるのではないかと思うことがしばしばあります。

医者やカウンセラーは、その場合に非建設的な方向に迎合してはならないというのが私の考えです。もちろん、一緒にとことん落ちるまで付き合うという奇特な誰かがいればその患者にとっては都合よいことになりますが、それは反社会的行為に他なりません。カルトです。

人間は社会の中で生きています。ある程度のばらつきや自由さは許容されていますが、最低限のルールというのはあります。どの程度を最低限と定めるかは時代時代によって、また、個人によって幅がありますが、少なくともその時点である程度常識的となされるスタンスで対応するしかないのが人間社会というものです。

治りたくないのならそれもまた自由かもしれません。悪いことではあるが極端な例をいえば、自死する自由があることと同様です。

しかしそれならば医療機関に相談する必要があるのか?非常識なご都合主義に真剣に付き合わされてしまう医療者にとっては大変迷惑な話です。

 

投稿者: 三本木クリニック

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