院長BLOG

2018.07.11更新

「岳」という、山岳救助漫画があって、当院の待合室にも揃えているのですが、そのモデルとなった人がカヤックの遭難事故で亡くなられたというニュースがありました。まだお若い人だったようですが、なんとも言えません。

最近私は登山の遭難事故に関する本を立て続けに読み、昨今の遭難事故が多い状況を考えるに、やはり登山する人は勉強をしなければならないと感じています。

私は北アルプスなど登ったこともない、富士山も5合目まで車でいったことしかなく、何年か前に南アルプスのとある百名山の1つにチャレンジした際、9合目でギブアップしたほどの、気持ちだけ登山したい人間です。

大学生のころは旅行ついでにいろいろ有名な山に登りましたが、たいした数はありません。でも、誰しもがいけるような有名な山ですら、遭難したりするわけですから、最近はあまりにブームが行き過ぎているような気がします。

60歳代70歳代の高齢者が本当に元気で、猿投山なんかでも、おそらくその世代が一番メジャーな割合を占めているだろうと思いますし、全国の百名山や、中部地区では北から南アルプスにかけての難しい山でもその比率は同様だろうと思われます。

昨日もある患者さんが、めまいがするといって来院されましたが、もちろん高齢者で、前日に9時間の山歩きをしたということで、血圧を測ってみると、高血圧要治療状態なわけです。以前から血圧は高めだと自覚していたそうですが、、、登山客にはこういう高齢者が本当に多いのではないですか?

カヤックも登山も、遭難したり山で病気になったりして、死ぬために行く漂流者のような気持ちでチャレンジするのかと、第三者から見ると思えるほど、想像力というか、無謀というか、何とも言えないです。

遊歩道や登山道が大変整備されているし、観光登山として大変気軽に安心していける山が多いは多いのでしょうが、ちょっと脇道にそれたり、ちょっと天候が悪かったりしたら、もういっぺんに恐ろしい状況になるのが山だと思います。

直進バイクと右折対向車との右直事故や、連続殺人、過労死、バーベキューで飲酒しての海や川での溺死、すぐ裏に山があるところに家を建てて住み、大雨で土砂崩れとなること、などなど、想像力をふつうに働かせれば、「~だろう」ではなく「~かもしれない」という行動ができると思うのですが、それができる人はそもそもよほど事故に遭わないでしょうし、自分が殺人を何十人もしてしまったならいずれ発覚して死刑になることも当然想像できるでしょうに、どうしてその想像ができないのでしょうか。それが人間というものなのでしょうか。

そういう自分もいつなんどき判断ミスをしてしまわないとも限らないのですが、想像力と反対にあるものが無謀という行動のような気がしてならないのです。

無謀はつまり死を招く行為です。

心筋梗塞の既往があるのにタバコをやめられなければまた心筋梗塞になるのは当然なことです。それで私の患者さんは亡くなりました。もう高齢だしその人なりのポリシーもあるから、なかなか聞き入れられませんでしたが、発症したらそれはふつうは死に直結するのです。

それも本人の望む形ということなのでしょうが、それなら医療は何のためにあるのか。

散々、山岳遭難者を救助して、遭難したり死なないために人々を指導してきた人が、自分も無謀なチャレンジで死ぬ、という。人間とはこういうものなのか。

遭難しているかのようにふらふらと何となく生きているのでは、それはいずれ何らかの理由により死を招きます。それは消極的自殺とでも言えるのではないでしょうか。

現代の日本、いえ世界全体で、そういうニヒリズムが蔓延しているように思います。だから、普段何にも興味関心もなかった人がワールドカップに夢中になったりする、つまりなにかふらついている自分がたまたま流れていた面白いことにしがみついてしまうような、そんな気がします。登山の遭難も、社会での遭難も同じようなものかもしれないとさえ思えるのです。

投稿者: 三本木クリニック

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