院長BLOG

2018.04.27更新

惑星は自分で光ることはできません。恒星は自分で光る星です。たしかそういう定義だったですよね。

人は本来みな自分で自分を光らせることができる存在だと思います。つまり恒星のような。

一方、惑星は誰かに照らされれば光るけれどもそうでなければ真っ暗です。地球がそうです。地球の衛星である月も自分では光れません。

 

何が言いたいのかというと、惑星として、例えば地球からみた明けと宵の明星である金星は、いっとき光るときにはその時間帯のどの他の星よりも明るいのですが、それでも自分で光っているわけではなく、あくまでも太陽の光に照らされての輝きだということで、

人に例えれば、

いくら名声や周囲からの称賛などで輝かされていても、それは惑星のような存在であったとしたら、その周囲からの光がなくなれば即座に真っ暗になってしまい光を失うのです。

どんなに小さい光であろうとも、誰もいなくなっても、自分で光ることができればそれは大変な価値があるということです。

本来人は自分が自分で光る能力を持っているはずです。誰から光を与えられなくとも。私はそう思います。

周囲から光を受けていようがいまいが、光を受けたならそれは自分の輝きにプラスしてさらに輝き、周囲の光がなくなっても泰然として自らを光らせることができること。これが自立というものです。

自分は光を放つ能力がある、そういう存在であると、when I find myself in time of trouble、という、ビートルズの歌詞じゃないけれど、そういうときに、思い出したいものです。

自分が光っていて初めて誰かを本当の意味で光らせることもできる。それが線香花火のような弱い光であったとしても、ですね。

まわりから照らされているだけであたかも自分が光っていると(本当は自力では光っていないのに)勘違いしてしまうと、自分自身を見失ってしまいます。相対的幸福と絶対的幸福との違いはそういうことです。

 

これこのこと凄い良いたとえだと思いますよ、我ながら。でもおそらくとうの昔に誰かがこういう例え話はしていることでしょう。調べもしてませんけれど。

 

どんなに光っていてもそれが自分の光によって出ない場合には注意せよということですし、どんなに小さい弱い光であっても自分は光れるのだと知っていればそれは堂々とした人生を送れる素質を持っているということなのです。

 

余談ですが、下医は目の前の患者の病を治す、中医は民を治す、上医は国を治す、という言葉が中国の古い本にあるそうですが、私に言わせれば、上も下もないです。光に例えれば下医は弱い光かもしれません、上医は一等星のようなものかもしれませんが、別に光の多寡は相対的比較にすぎないのです。恒星が自分一人しかいなければ比較もないし、それが光の100%なのですから。私は下医として、ホタルのような光でもたくさん集まれば大きな光になる、と思っています。

投稿者: 三本木クリニック

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